読者への挑戦〜犯人当てに魅せられて〜@花園大学 その1

麻耶雄嵩大山誠一郎、司会 佳多山大地によるミステリ講座(公開講演会)を聞きに行ってきました。
http://www.hanazono.ac.jp/ippan/mystery070623.html
佳多山大地さんは、服装も顔立ちもラーメンズ小林賢太郎のような雰囲気。サッパリしたシャツで登場。けっこうカッコいいな…。
麻耶雄嵩さんは、うずまき模様みたいな黒っぽいシャツ?
大山誠一郎さんは、白黒のギンガムチェックみたいなシャツで。
以下、講演内容を適度に要約したものです。
(長くなるので、トークと質問コーナーで記事を分けます)
ただし、聞き間違いや、文脈を読めてないことによるニュアンスの違いなど、いろいろ怪しいところが有るかと思います。ボ〜としてて話を聞いてなかった部分も有ります。

  • はじめに? 佳多山さん

喫茶店で2時間、居酒屋で5時間打ち合わせをしました。
伏線・手がかりなどミステリを語る時に当たり前に使っている言葉でも、違う意味で使っていることが分かった。
その言葉を見直すことから初めて見ようと思います。

  • 大山さんの紹介等 by麻耶さん

大山君は(京大の推理小説研究会に)入ってくるなり創作を多く発表していた。
例会で誰でも1回は犯人当てをやることになっていて、だいたいは1回生のうちにやります。
書きたがる人は年に多くて1人か2人くらいしかいない。
(1回しか書かない人が多い)
犯人当ては300回という数字がついているけど、実際は320回くらいやっていて。
犯人当てとしてダメな作品は、回数に入れてもらえないという恥ずかしい目にあわされる(笑。

  • 佳多山さんからの問いかけ

犯人当て小説とはそもそも何か?
本格推理小説とイコールなのか?
犯人当て小説の位置づけから考えを述べてもらうのがいいですかね。

  • 麻耶さん

起源としては同じだと思う。ゲーム感覚で読むことが出来るのが犯人当て。推理パズルに近いと思う。
目くらまし、ミスディレクションを(データ形式のパズルに比べると)小説なら入れやすい。
読者としても、データ形式で読むよりは、小説の形になっている方が頭に残りやすい。
本格推理小説が、みんなに面白いと思われた最初の部分、エッセンスをゲームとして取り出したものが犯人当て。

  • 大山さん

基本的に麻耶さんと同じ。
読者への挑戦状は、「ここでデータが揃った」というフェアプレー宣言で、そこに(犯人当ての)特徴が有る。
(小説形式について)
例えば子供が父親を殺した、という答えで データ形式では驚かないが、小説なら父親から子供に対する愛情を描くことで、読者に衝撃を与えられる。
そういう意味で小説形式は必要。

gma注:ここでいうデータ形式とは、頭の体操のように、文章でデータが与えられるが小説ではない、という形式のパズルのことだと思う。

  • 佳多山さん

(推理研での犯人当てが)朗読形式なのは事情があるんですか?

  • 麻耶さん

事情は分からない。
効果としては、聞く方も集中できると思う。
犯人当ては読者が参加しないと成立しない。
読者に真剣に参加してもらうため?

  • 大山さん

OBのひとに聞いたのですが
ワープロの無い時代、手書きだった頃に あとで手がかりを(カッコ書きなどで)書き加えると、後で書き加えた部分が歴然としてしまうので、朗読形式にしたらしい。

  • 麻耶さん

読者への挑戦は、補足事項を書くためにも必要。たとえば、単独犯である、とか。
(そうしないと、考えるべきことが多すぎる)

  • 佳多山さん

単独犯であることを作中で説明するのは難しい。

  • 麻耶さん

複数犯であることを証明するのは簡単だけど、
単独犯であることを証明するのは難しい。
たとえば、横にもうひとり、なにもしないで突っ立っていたひとがいるかも知れない。

  • 佳多山さん

『フランス白粉の謎』で、クイーンが急に、複数犯じゃないことを証明しだすのだけど…
「死体を2人で運ぶと2倍見つかりやすい」といった内容で、
中学生当時の自分でも「それは…w」と思った。2人なら速く運べるし。

  • 麻耶さん

見張りをたてることも出来ますしね。
単独犯なら「足跡がひとつしかない」とかベタに分かりやすいやつのほうがいい。
ロジックで単独犯を証明するのは難しい。それは挑戦状で「単独犯である」と言ってるのと変わらない。

  • 密室トリックについて(麻耶さん)

「この密室トリックが出来たのはこの人だけ」
→ トリックは可能性の一つであって、他の可能性の否定は十中八九、できない。
密室トリックは、それをキーポイントとして犯人を限定するのには向いていない。
たとえば、いままで1000くらいの密室トリックがあるとして、
そのどれもが当てはまらないかというのは、とても(限られた時間で)確かめられない。

  • 大山さん

(他のトリックの実現可能性が色々有ったとしても)
伏線・手がかりをもっともキレイに回収できるのなら、それを真実と見なして良いと思う。
別の方法で出来たとしても、手がかりが全く触れられていないのなら、考慮しなくて良い。

  • 麻耶さん

でも、それだと状況証拠で一番怪しい人が犯人であると言ってるのと同じじゃない?
たとえば10個の手がかりが有って、9個当てはまる人と7個当てはまる人がいた場合に。

  • 大山さん

はい、僕は手がかり7個の人は否定して良いと考えます。

  • ?(誰が話してたか忘れました)

探偵が解決した時に、読者が「なぜこの手がかりに気づかなかった」と思うようなことが必須だと思うが、密室にはもうそれがない。

  • 佳多山さん

密室では仮説先行になってしまう。
(いろいろありうるトリックのうち、ひとつの仮説をベースとして推理を進めることになる)

  • 麻耶さん

作者が有利なはずなのだけど、それを感じさせずに
「なぜ気づかなかった」と、読者を楽しませれば良い
犯人がなんらかの方法で密室を作った、とブラックボックス化して、
密室トリックを解けなくても犯人当てにすることができるのでは?

  • アリバイトリックについて

アリバイトリックは「こいつがやったはずだ」という信念の元に鉄壁のアリバイをくずすもの。
まだ密室トリックよりは アリバイトリックの方が犯人当てに向いていると思う。
(データが多いような)アリバイものは解くのがつらい。読者に、フィールドから降りられたら作者の負けだと思う。

  • 佳多山さん

具体的には、麻耶さんの『木製の王子』、あれは無理じゃないですか(笑
(ここで場内 今日一番の爆笑)

  • 麻耶さん

あれは(犯人当てではなく)小説ですから…
一応、奇特な読者がいても解けるように書いたつもり(笑

  • 佳多山さん

手がかり、伏線について 考え方が違うことが分かりましたが。

  • 麻耶さん

(打ち合わせで話すまで)認識に違いが有る、ということさえ認識していなかった。
手がかりというものは、探偵がロジックを組み立てるもの。三段論法なり四段論法なりの、核になるもの。
伏線は、犯人が分かった後で「なぜなら、犯人は…」とあとで補足するもの。犯人を特定したあとの補強材料。
作中で触れられていなくても、読者が気づけば伏線。
伏線を元にはロジックを組み立てない。

  • 大山さん

あくまで読者の立場でしか伏線と呼ばないのでは。
作中人物が認識するものは伏線ではない。

  • 佳多山さん

伏線というのは、探偵が拾っていなくても、読者が後から拾っていくもの
(探偵が伏線を拾ったりはしない)

  • 麻耶さん

ワトソン役が拾ったりするものは「伏線」ではない?

  • 佳多山さん

そう思う。

  • 麻耶さん

(名前は何でも良いが)二つに分けることが重要だと思うので、
誰かエラい人が名前を…
たとえば、犯人の顔色が変わるのは「弱い手がかり(伏線)」。
それを元に探偵が推理をしたらダメな犯人当て。

  • 大山さん

それは同じ性質のものを別の名前で呼ぶことにならないですか?

  • 麻耶さん

ちゃんとすれば分けられるものだと思う。
弱い手がかり、強い手がかりでもいいけど長いので、短くならないか。
「これは、強い手がかりが弱い」とか言い出すとわけが分からなくなる(笑

  • 創作する時に重要な点 (麻耶さん

単独犯であること。
複数犯まで考えると、限られた時間では難しい。

  • 大山さん

理想的には、シンプルであること。一言で説明できるようなもの。

  • 佳多山さん

最近の作品で言うと『天帝のはしたなき果実』は、複数の解答が提示されるけど
複数犯の組み合わせが色々出てくるだけで、美しくない。
20分くらい考えたら、自分も解答が出せるんじゃないかと思った。

  • 麻耶さん

「犯人以外は嘘をつかない」というのも、できれば「単独犯である」と同じように(挑戦状などで)明文化したいくらい。
(おそらく夕刊フジの連載について)
読者が、犯人当ての心構えを持って読んでくれるかどうか、「犯人当て」と書いてあっても、多くの読者は小説として「驚ければいい」と読んでいる人が多いのではないか。
卑怯な手というのは、読者が犯人当てのフィールドに上がってくれるから、裏(の選択肢)として有効なもので、心構えが無ければ、ただのズルい作品ととられてしまう。